更新日:10年02月08日

ニセコ町、札幌市、小樽市視察報告書



ニセコ町、札幌市、小樽市視察報告書

日程:2010年2月8日(月)~11日(木)

8日:福岡空港から札幌へ移動

9日:ニセコ町にて「自治基本条例」に関する視察

10日:札幌市にて、「中小企業振興条例」、及び、議員提出議案による「住宅リフォーム助成制度」の創設について視察

11日:小樽市にて「小樽文学館」を視察後、福岡空港へ帰着

参加議員:柳井誠、原田里美、藤沢加代、波田千賀子、大石正信、井上真吾、野依謙介


2月9日

ニセコ町「自治基本条例」を軸にした住民参加型の街づくり

ニセコ町役場にてニセコ町企画課課長、茶谷久登氏などから話をうかがった。

目 的 

北九州市において、自治基本条例の策定作業が進んでいる。日本共産党市議団はこれまで、市当局と数回懇談を持ち、条例の目的及び趣旨について意見交換を行い、?憲法や地方自治法との整合性、?準被爆都市である本市の平和への強い願い、?市民生活向上のための行政の責任と役割 などの観点で必要な修正を求めてきた。しかしながら、条例の本文である「住民が主役の街づくり」と言う点で、本市の条例案は、形あって中身の無いものになりはしないかという懸念が出てきた。

そこで、他自治体に先駆けて、自治基本条例を策定してきたニセコ町の条例と、その取り組み、市民参加型の街づくりを視察・研究し、その取り組みを本市における、「住民が主役の街づくり」に生かすことを目的に視察を行った。

先進的な取り組み

1、ニセコ町景観条例(自治基本条例の趣旨を具体化する条例)

札幌市から車で、1時間30分ほどで行けるニセコ町は、冬は羊蹄山・アンヌプリ連峰の麓に数多くあるスキー場を利用する観光客で賑わう、日本中・世界中から観光客が集まる観光地である。夏場は、札幌市民の絶好の行楽地として、北海道民の憩いの場となっている。こうしたことから、外資系のホテル、日本の財閥系のホテルが数多く立地している。当然、大規模なホテルやスキー場の建設となると、木を切り開き、自然が破壊されてしまう。私有地に建設される場合、現行の法律では、その開発を規制することは出来ない。そこで、ニセコ町では、景観条例を制定し、その開発が地域の景観を著しく侵害するものでないか、地元住民の理解と同意が得られる開発なのか、などの視点で、開発前に住民と行政のチェックが入る仕組みになっている。

まず、?施工主(ホテル側)が地元説明会を行うことを義務付ける、?提案された計画に意義があれば、地元住民が要求した、設計や計画の変更を行う、?地元産食材の納入など地元への経済的波及効果を盛り込ませる、?地元がその計画を同意する、?町に開発の申請を行う、?町は、地元が同意していることを条件に、開発の許可を出す、と言う仕組みになっている。

仮に、地元住民が反対して、計画に同意しなければ、町は許可を出さないことになる。その場合、施工主が「町が開発を許可しないのは違法だ」と裁判所に訴える可能性がある。というのは、町の条例が、国の法律に規制されていないことを規制しているためである。町としては、裁判になれば、敗訴する可能性はあるとしているが、事前に本条例を施工する前に、政府と協議し、町の条例が法律に違反するものでないとの見解を得ているということだった。むしろ、町の条例の方が憲法の理念を具体化したものであるし、法律の方に不備があると言える。

これまで、一度も施工主が、裁判に訴えることはなく、ホテル業との関係上地元自治体と住民の反発を押し切ってまで、開発を行うことはデメリットが大きいと判断するのが普通だろうと、担当課長は述べていた。こうした規制を行っているのは、羊蹄山周辺の自治体ではニセコ町のみで、何の規制も課していない、倶知安町では、高層ホテルが乱立しており、いわばリゾート地のような町並みであった。

ニセコ町でのホテルは、低層のホテルで、比較的小規模のホテルが点在している感がある。町内にある外資系のヒルトンホテルにおいても、この住民と町のチェックを受けて、開業したということであった。このホテルの立地においても、全体の景観と比べそれほど違和感があるものでなかった。大資本であっても従わせる、町の取り組みを学んだ。

 

2、まちづくり基本条例

本市のまちづくり協議会は、主に自治体からの交付金を一括でもらいうけ、まち協に加盟する、学童保育クラブや婦人会、老人会などへ交付金を配分すること、及び市民センターの管理の委託、加盟団体である自治区会が行う市政だよりの配布、イベントの開催などを行っている。まち協からは、本来自治体がやるべき仕事を、地域に押し付けているとの意見も出ている。その主なものでは、?地域の一人暮らし高齢者の見守り、?孤独死防止のネットワーク作り、?公園などの草刈・清掃、?街灯の設置及び管理などがある。もちろん積極的に行っているまち協もあるが、まち協役員の高齢化や、参加住民に減少などにより、その仕事の負担が重たくなっているまち協も少なくなく、これが行政から押し付けられているとの不満の原因にもなっている。

ニセコ町ではまちづくり懇談会などの場で地域の様々な課題を話し合っている。これらは、地域でできることは地域でという点では共通しているが、まず、地域住民で、地域の課題を話し合い、これは行政にやってもらおう、これは、地元で何とかできるのではないかと、個々の課題について、選定を行い、行政がするべきものとなった仕事については、行政が基本的に行うと言う点である。他の地域では地元がやっている課題であっても、町にその課題が預けられれば町で行うと言う点である。

もちろん、ニセコ町でも活発な地域と、そうでない地域があるが、一歩一歩合意を得ていく手法は見習う点である。

そして、そうした地元の会合に町の職員が入って、直接地元の意見を聞く仕組みがある。町でやるとなった仕事は、すぐさま関係課に取り次がれ、作業が行われる。直接、町の職員が住民と対話し、その場で結果が出るのは、行政サービスの迅速化の点で効果がある。

また、一住民として参加している職員においても、地域の人は単なる一住民とは見ずに、まちづくりの専門家と見られるようである。それだけ、町民の町や職員への信頼が厚いといえる。一住民の立場での参加であっても、そこで上げられた意見は、その職員を通じて町のほうに上げられる仕組みも合わせて持っている。

3、広報誌の発行

ニセコ町では全世帯へ200ページ程の町の今年度の事業計画を記した、冊子を無料で配布している。

これは、本市予算議会前に全議員に配布される、北九州市の主要施策概要のようなものであるが、ニセコ町の場合は、それぞれ、写真つきでその事業の目的と効果などが記されている。

町の今後一年間の仕事をほぼ網羅した冊子は、議員に配布される資料に匹敵する内容とボリュームを持っている。

住民は興味ある事業を見ても良いし、こんな事業をやる必要があるのかと疑問を持てば、直接町や議員に意見も言える。町政に参加するための基礎的情報と言えるものである。

こうした事業概要以外にも、保育所の入所の案内や、ごみ分別、公園の説明、子育て支援メニューなど、町の情報誌的な役割も担っており、恐らく町民の多くは一年間捨てずに保存しているものであると思われる。

本市においても、ニセコ町と同様に、市民にわかりやすい主要施策の冊子が必要と感じた。

4、行政情報の共有化

町が管理する公文書は全て一箇所に管理されていて、データベースで検索し、必要な文書をすぐに書庫から取り出すことが出来るようになっている。また、一部は文書そのものもデータベース化されており、インターネットで検索し、その書類を閲覧することができる。

職員の机の上は常に空の状態で、文書類関係は書庫で一括管理されている。

メリットは探す時間を短縮でき、市民も必要に応じて、その情報を閲覧することが出来る点である。ただし、取り出した文書を元の場所に直す手間がある。ネット上で閲覧できる文書類は仕様書などの当たり障りの無いものに限定されている。町民は直接役場で、書類の閲覧を求めることができる。

情報の共有という点で見習うべきものと感じた。

ニセコにおける2元代表制考察

ここまで、住民が地域の問題や町の課題について議論し、直接、行政文書を閲覧し、意見や要望を述べ、提案できるようになるには、住民自身が自ら、責任と高い役割意識を持っているからにほかならない。

現在の日本の地方自治では、首長や議員を選び、それらを通じて政治に参加する間接民主主義を基本としているが、ニセコ町での取り組みは、間接民主主義を補完する目的で、直接的な制度を導入しているとの感想を持った。この場合、議会の役割はどう変化するのだろうか。町の担当課長さんは「二元代表制の役割はまったく変わらない。町長提案を議会がチェックし、政策を決定していく仕組みは同じ」と。

むしろ、町民の目にチェックされて、議員の目でチェックされて、町の政策や予算が決まっていく意味で、町政は2重のチェックを受けることになり、行政と町民との乖離を最小限に抑えることが出来るのではないかと思う。

もちろん、詳しい広報誌の発行や、行政情報の閲覧は、予算が可決された後で、市民に開示されている。住民がその政策に異議がある場合は、町や議員に意見を述べるであろうが、その際の町民意見の反映は来年度予算、もしくは補正予算で反映されることになり、タイムラグが出る。そうした意味では、予算審議や各種委員会を通じて、タイムリーな議論を行い、そのつど改善・修正を、町民に根ざした立場で行うことが出来るのは、議会しかない。

しかし、ニセコ町の場合、町提案の予算が否決、修正されたことはないとのことであった。

現町長は町職員出身であり、ニセコ町では職員自身が地元において、町民の利益の代弁を行い、その地域の議員のような役割を担っているのは興味深いことである。そして、そうした重要な役割を担う職員の待遇改善と更なる能力向上に町は取り組もうとしている。平成22年度において、職員研修費の大幅増額が予定され、近年削減され続けた職員給与についても、削減以前の水準に近づけようとする町長の意向も示されている。職員を大切にし、町の発展のために活用しようとするニセコ町の町政運営は王道であると言ってよいと感じた。

(文責・井上真吾)


2月10日

「札幌市中小企業振興条例」について

札幌市役所にて、札幌市産業振興部経済企画課企画係長の谷口秀一氏に話をうかがった。

札幌市は1975年に制定していた「中小企業等振興条例」を07年12月に改正し、「市の責務」、「中小企業者等の努力等」と合わせて、「大企業者は、事業活動を行うに当たっては、地域社会を構成する一員としての社会的責任を自覚するとともに、中小企業者等との連携・協力に努めるものとする」「大企業者は、市が実施する中小企業振興施策に協力するよう努めるものとする」と「大企業の役割」を明記した振興条例を08年4月に施行した。

当日いただいた資料では、「札幌は事業所のほとんどが中小企業のまちですが、中小企業が振興することで、結果として市民生活も向上するという好循環を生み出します」と説明。「市の責務、施策の基本方針を明確にしたことで、それを新まちづくり計画や各年度の予算事業などに反映し、今まで以上に効果的な支援を行っていきます」とも述べている。まさにこの点こそが、中小企業振興基本条例の制定がもたらす役割・効果の眼目だと率直に感じた。

中小企業振興基本条例の制定は、地方自治体が地域の実情に応じた産業振興策・中小企業振興策を実施する根拠となり、その責務が明確になるとともに、継続的かつ系統的な施策実施とそのための予算確保の担保となる。さらには、大企業の進出・撤退をはじめとする地域経済で生じた緊急の課題についても、問題解決のための機敏な対応が可能となる。

その具体的な展開について尋ねたが、まだ条例改正から数年しかたっておらず、具体的な取り組みについては「今後の施策の進展と、その結果への評価に待ちたい」との旨の説明であった。とはいえ、平成22年度予算においても、議員提出議案によって創出された「エコリフォーム促進事業」が「地元企業が受注可能な」制度としてスタートしており、具体的な取り組みの進展を感じた。

なお、札幌市では07年4月に自治基本条例を施行しており、これを踏まえて、同年12月の「中小企業等振興条例」の改正がおこなわれた。

北九州市おいても、自治基本条例の制定の動きに合わせて、「大企業の社会的責任」を明記した「地域産業振興に関する条例」制定の必要性を改めて痛感させられた。

(文責・野依謙介)


2月10日

「札幌市・住宅リフォーム助成制度」について

◇視察先 札幌市議会にて市議会事務局政策調査課政策担当係長・瓦本一大氏から話をうかがった。

◇対 象 議会主導による札幌市住宅リフォームの助成制度の創設

制定の経緯

  1. 今回の札幌市環境負荷の低減のための住宅エコリフォームの促進に関する条例は、議会改革の一環として、議員提案政策条例で成立した。政令市で初めて、平成22年、4月から住宅建設助成制度はスタートする。これまで、市長部局の住宅建設や耐震化についての対応が送れており、建築士の資格を持った市会議員調査し、議員提案という形で動いてきた。
  2. 平成18年全議員提案で、一戸建てに関して「住宅耐震化促進条例」が可決された。札幌市は、耐震化の問題で不安な状況であり、昭和56年以前の建築物対策は無策だった。このような状況の下で、住宅の耐震化を促進してきた。
  3. 平成21年1月の定例会で「住宅耐震化促進条例の一部改正」が全議員提案で可決された。一戸建てではなく、市内の全木造住宅及び非木造住宅(共同建て)を対象に広げてきた。これまで、耐震診断補助を実施するも、耐震化の目標戸数の20%程度の実施に止まっていたこともあり、住宅にスポットを当て、「札幌の安全安心」に力を入れてきた。

4、平成21年4月の定例会で「札幌市環境負荷の低減のための住宅エコリフォームの促進に関する条例」ができた。

■課題

  1. 札幌市は、高齢化が進んでいる。環境問題への対応では、札幌市は雪が多く寒いので、暖房費などエネルギーを多く使用して二酸化炭素の排出が多くなっている。厳しい経済情勢のもとで、北海道の住宅着工が遅れており、不況から脱却できない。札幌市は、世界同時不況以前から景気が低迷していた。プロジェクトで、自民・公明・民主党で研究会が設置されてきた。
  2. 当初、住宅建設への補助を出すことは、個人資産の形成と言う意見もあったが、市長が進める「安心・安全」という点で、それ以上に耐震化、安心・安全が必要であるとの認識から出発した。

■対象になるもの

  1. 市内の業者に限り、50万円の助成が受けられる。
  2. 住宅は、福祉は福祉課、環境は環境課でバラバラな対応だった。住宅に配慮して一箇所で情報が得られるように配慮している。条例は、細かいところは市長部局にゆだねる。政策の骨格を定めている。
  3. 総額1500万円、改修費用の10%を補助、年間30件を目標にしている。平成23年度本格実施する。1500万円のうち、国と道の補助は3分の1で、国の住宅エコ改修の補助を見込んでいる。対象は「耐震化か住宅エコかのどちらかになっている」。担当は住宅課になる。4月1日からスタートなので詳細はこれから。
  4. 最初、3会派(自民、公明、民主)を中心とした動きで、アンケート800枚を配布して、市民意見を聴取した。回答は591件。このうち、住宅に何らかの不安点が発生したとき、55%の方が「リフォームにより対応する」と回答。環境にやさしい住宅の省エネ化に対して、88%方が「関心がある」と答えた。市に求める施策として、68%の方が「工事費用の一部補助」と回答。また、47%の方が「安心できる施工業者等の情報提供」と答えた。市民意見では、「工事費用の一部補助や施工業者、新技術など情報提供」の声が多かった。

□参加しての感想

世界同時不況の影響で、住宅の建設が遅れており、耐震化の目標も大きく遅れている。このような状況の下で、建設業者の営業と暮らしを守る点でも、住宅リフォーム制度は大きなものがある。北九州市は、環境首都を標榜し、高齢化の点でも不況の克服でも住宅リフォーム助成を検討すべき。また、国も今年度予算の補助を検討している点からも、北九州市でも実施すべきであるとの思いを強くした。

(文責・大石正信)


 

2月11日

小樽市立「小樽文学館」

小樽市立「小樽文学館」と共通券で見られる併設されている美術館を視察した。北九州市立文学館の運営のあり方の論議に資することが目的。

 入館料300円 共通券500円

小樽市の概況

人口134,811人(住民基本台帳人口2009年12月31日現在)

北海道の西部石狩湾に面し、古くから港湾都市として栄え、歴史的建造物が数多く、現在全国有数の観光都市となっている。札幌市からJR快速列車で30分前後という位置にあり、札幌市のベッドタウンとしての役割も果たしている。

◎小樽文学館は市分庁舎2階に1978年開館

案内リーフレットによれば、「経済的繁栄を背景に、文学、美術などの文化面において才能豊かな青少年たちが全国から集い、互いに励まし、批判しあいながら小林多喜二、伊藤整をはじめ大勢の優れた作家が生まれたのです。これらの作家の著作や文芸誌、また原稿、書簡などの資料類は、現代の私たちに遺された貴重な文学的財産といえます。その散逸を惜しみ、また損傷を防ぐための施設をつくりたいという市民のこえが実を結び」と、市民運動によって作られたことが紹介されている。建物は日本の近代郵政建築の第一人者として知られる小坂秀雄の設計で建築された旧小樽地方貯金局である。市内に残る歴史的建造物の一つで、観光スポットとなっている。

展示室は全体にこじんまりとしているが、かえって郷土出身の先輩たちを身近に親しみ深く市民が感じることができそうだ。気軽に立ち寄れる感じがする。入り口にはコーヒーコーナーが設けられているのも好感が持てる。

おもな収蔵資料は小樽ゆかりの文学者、小林多喜二(1903-1933)、伊藤整(1905-1969)、石川啄木(1886-1912)、石原慎太郎、小熊秀雄、岡田三郎のほか、児童文学作家山中恒、川柳作家田中五呂八、詩人吉田一穂など多数の作家詩人等の資料が展示されている。中心は小林多喜二とチャタレイ裁判で知られる伊藤整である。

近代文学史上、プロレタリア文学史上における小林多喜二の名前は燦然と輝いているが、一昨年から昨年にかけての「蟹工船」ブームは、小林多喜二の名前をいっそうポピュラーなものにしたと思われる。「2008(平成20)年1年間だけの売り上げが、各社の文庫版・マンガ版などの総計で80万部に迫るベストセラーになった」(知恵蔵2010用語解説)とされる。

多喜二は1903年10月13日、秋田県の没落した農家に生まれた。4歳の時に一家は北海道の小樽でパン屋で成功した叔父を頼って移住、パン工場を手伝いながら叔父の援助を受け、小樽商業学校、小樽高等商業(現在の小樽商科大学)を卒業、北海道拓殖銀行に勤める。当時の北海道には文系の高等教育機関は小樽高商以外になかった。多喜二の1年後輩に作家の伊藤整がいた。多喜二が小説を書き始めるのは商業学校本科二年に進級した16歳のころとされる。同人誌「クラルテ」を創刊したのが小樽高商を卒業し就職した1924年、多喜二21歳であった。大正10年代、大正デモクラシーの時代を背景に、多喜二は貧しい中にも勉学や、絵画、文学、そして社会科学へと活動を広げた。多喜二はクロポトキン、ゴーリキー、フランスのクラルテ運動を起こしたバルビュスなどから、マルクスへと関心を移し、小作争議や労働争議、労農党の選挙応援にも参加するようになる。銀行勤めの傍ら執筆活動も盛んに行った。本格的な作家デビューは、「一九二八年三月十五日」である。

1928年3月15日未明、日本共産党への大弾圧が行われ、全国で数千名の労働者、農民、学生、知識人が治安維持法違反で逮捕された。小樽でも約500名が逮捕された。この逮捕と警察内の拷問を扱ったのが多喜二の「一九二八年三月十五日」である。蔵原惟人の紹介で「戦旗」の同年11月号と12月号に分載されたが、12月号は発売禁止となった。多喜二のこの作品は「日本の近代文学史で国家権力の問題をはじめて正面から取り上げた」(蔵原惟人「小林多喜二文学のもつ意義」)ものである。

多喜二はこの作品の執筆動機について「『一九二八年三月十五日』〈処女作の頃を想う〉」という文章の中で次のように書いている。人口15万の小樽で「二百人近くの労働者、学生、組合員が警察にくヽり込まれる。この街にとっても、それは又只事ではなかった。しかも、警察の中それら同志に加えられている半植民地的な拷問が、如何に残忍極まるものであるか、その事細かな一つ一つを私は煮えくりかえる憎意をもって知ることが出来た。私はその時何かの顕示を受けたように、一つの義務を感じた。この事こそ書かねばならないと思った。」

多喜二は生涯に40編あまりの作品を残したが、「一九二八年三月十五日」に続く第2作目が「蟹工船」である。1929年小林多喜二26歳の時の作品である。多喜二はこのときまだ共産党に入党していなかった。多喜二の入党は28歳、1931年である。「蟹工船」のあと「不在地主」を執筆、この作品が直接の原因となり銀行を解雇される。翌30年の3月上京、本格的に文学運動に集中することになる。「蟹工船」を書いた4年後、上京後わずか3年しかたっていない1933年2月20日の昼過ぎ、小林多喜二はスパイの手引きで築地警察署の特高刑事に逮捕され、午後7時頃築地署の裏にある前田病院に運ばれ、午後7時45分絶命した。29歳と4か月の若さであった。

翌日午後3時、多喜二の死が臨時放送や各紙を通じて公表された。死因は心臓マヒとされた。病院は厳重に警戒されていて入室できなかった。遺体が帰宅した午後10時過ぎには近所の人や小樽時代の友人、そして宮本百合子や佐多稲子、作家同盟や美術家同盟の友人たちが次々と訪れた。翌二二日に遺体の解剖を要請した東京帝国大学と慶応大学から拒否され、いったん引き受けた慈恵医大でも、検察当局の手配で結局拒絶され、解剖はできず、死因は科学的に実証ができなかったのである。この日の通夜は、警視庁と杉並署の警官50人余が動員され、弔問客は片っ端から検束された。宮本百合子も検束されたが、女性用の留置場の部屋はいっぱいで入れず帰された。手塚「小林多喜二(死と葬儀)」によれば、23日の告別式も「厳戒」で「弔問客は家に近づくこともできなかった」。「刑死者、犯罪者葬儀取締法」により、通夜葬儀は「不穏とみとめられ」親戚以外の参列が許されなかった。いかに当時の権力が多喜二を敵視していたかがこの遺体の解剖や通夜葬儀のあらましを知るだけでよくわかる。そして誰も多喜自二を殺した人たちは何の罪にも問われていないのである。

小林多喜二の展示資料で印象的なのはやはりデスマスクであろう。レプリカながら拷問によって逮捕されたその日のうちに殺されたことを知るだけに、どす黒く腫れ上がった太ももも生々しい写真のイメージともあいまって、治安維持法下の当時の社会を想起させるに十分である。「蟹工船」の初版本死亡を報ずる新聞記事、虐殺に抗議するビラなど当時の資料も、短かった多喜二の生涯にあって豊富な作品世界を今に伝える貴重な展示である。郷土の先輩としてこの展示をきっかけに小林多喜二をより深く知りたいと思う若者もいるであろう。憲法9条改悪の動きもひそかにそのチャンスをうかがっている。もう2度とこんな社会に逆戻りすることのないようにと、この展示を見た人たちは思うであろう。小樽市民にとってだけではなく、世界の平和を願うすべての人にとって大切な文学館である。

(文責 藤沢 加代)

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