2017年3月7日 藤沢加代議員 一般質疑
2017年2月定例会の本会議質疑が2月22日~3月29日まで行われました。日本共産党から6名の議員が本会議質疑を行いました。その質疑と答弁を日本共産党市議団による音声をもとに文書化したものを紹介します。また、北九州市議会HPで中継録画がご覧になれます。正式には、6月議会で今回の議事録が公開されます。
2017年3月7日(火)
藤沢加代議員 一般質疑(30分)
私は日本共産党北九州市会議員団を代表して一般質疑を行います。
弥生時代終末期の城野遺跡が出土した城野医療刑務所跡地は、北九州市が現地保存し整備公開としていた当初の計画を変更し、土地の確保をしなかったため、売却によって所有権が国から大手開発事業者に移転して1年が経過しました。開発事業者は、「城野遺跡の現地保存をすすめる会」との懇談の結果、土地の取得を市長及び市当局に働きかけるとした「すすめる会」の意思を尊重し、商業施設の建設計画を中断しました。開発事業者は、当初から土地の買戻しに応じるとの考えを示していましたが、年明け2月6日の「すすめる会」との懇談で、市が買い戻すことはないとして、3月から土壌汚染調査に取り掛かり、7月からは本体工事に入ることを明らかにしました。
消滅の危機にある城野遺跡を後世に残すかどうかは市長の決断にかかっています。改めて現地保存に向けて市長の英断を求め質問します。
城野遺跡は2009年から10年に発掘調査が行われ、1800年前の邪馬台国と同時代の集落跡が丸ごと発見された学術上きわめて重要な遺跡です。九州最大規模の方形周溝墓、真っ赤な水銀朱が大量に塗られた幼児の石棺2基、南側の石棺の小口石には武器を持った人物を思わせる線形模様が描かれており、節分の起源とされる中国の「周礼」に記された悪霊を払う役人「方相氏」を表現したものではないかと言われています。また、九州で2例目の玉作り工房は、高度の技術を持った集団の存在を示しています。周辺の重住遺跡、重留遺跡や猫塚古墳などと合わせ、この地が「魏志倭人伝」に記された国々に匹敵する勢力が形成されてたことは明らかで、「クニ」の存在を指摘する専門家もいます。昨年8月には、重留遺跡で出土した祭祀用の広形銅矛が、考古資料としては本市で初めて国の重要文化財に指定されました。埋納状態で発見された銅矛は全国唯一で、広形銅矛の国指定も全国唯一です。
保存を求める声は市内外のみならず、海外からも寄せられています。市長及び市当局はなぜこの声に耳を傾けようとしないのでしょうか。わが国最大規模の考古学研究者団体である日本考古学協会が3度にわたって国県市に「現地保存と遺跡公園としての整備活用を求める」要望書を提出し、昨年12月には日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会幹事3名が北九州市を訪れ、直接要望しました。さらに城野遺跡への関心は東アジアにも広がっています。「弥生時代の墓制、集落、生産工房を含めた当時の社会構造と時期的変遷を考える上で、北部九州のみならず、西日本、韓半島や東アジアの中でも極めて重要な遺跡」として「すすめる会」への専門家の方々の賛同署名は日本考古学協会会員97筆、韓国の代表的な考古学研究団体である嶺南考古学会会員からも60筆が寄せられています。
城野遺跡の学術的価値については異論をはさむ余地はありません。国も県も市当局も認めるところです。3月3日の本会議の公明党の山本議員の質問に答え、市民文化スポーツ局長は、土地所有者と協議し、「重要な遺構である方形周溝墓を現地に残すための協力を要請」」した結果、「土地所有者から方形周溝墓部分を含む開発面積の、約3.4%556平方メートルを緑地部分に充て、これを無償譲渡するとの申し入れ」があり、整備内容を検討しているとの答弁がありました。方形周溝墓部分は保存されることになりますが、玉作り工房部分は破壊されてしまいます。城野遺跡は集落が丸ごと良好な状態で発見されています。お墓だけ残せばいいというわけではありません。
そこで第1に、1800年間誰に荒らされることもなく守られてきた城野遺跡を、私たちの世代でつぶしてしまっていいとお考えですか、市長お答えください。・・・①
第2に、国との交渉の過程で市は最後まで無償譲渡を主張し続けたのは何故なのかという問題です。保存問題の発端は市が土地の確保は国の責任と主張し続け、当初の現地保存の計画を変更したことにあります。本会議答弁において市民文化スポーツ局長は、「文化財保護法に示されている国と市の任務を踏まえ、保存すべき土地については国の責任で確保し、市が保存、公開すること」を再三要望したが平行線をたどり合意に達しなかったと述べていますが、福岡財務支局は、「国の土地を無償で自治体に譲ることはない」「文化財保護法に基づく国の責任は果した」と明言しました。ここでいう「国の責任」とは国が費用を出して発掘調査を行ったということです。
城野医療刑務所跡地は国有地だったからこそ、実際に優遇措置(1/3無償)や等価交換などの有利な条件が提示され、遺跡公園にするのであれば国や県からの補助金も期待できました。財務省は「なぜ北九州市は公共の活用に手を上げなかったのか残念」と言っていますし、福岡県文化財保護課は「等価交換まで提示されたのですか」と驚いています。方形周溝墓部分が残るのは開発事業者の協力があってのことです。土地の無償確保を前提とした現地保存計画であれば、それは本気で現地保存する意思はなかったと言わざるを得ません。答弁を求めます。・・・②
第3に、情報が隠されている問題についてです。「すすめる会」が開示請求した城野遺跡の現地保存に向けての福岡財務支局小倉出張所との交渉の経緯を示す行政文書は。真っ黒に塗られ内容は一切わかりません。
国との交渉は、2011年9月から2013年6月まで合計10回行われたとされていますが、会議の日時出席者の名前がわかるのみで、市の主張も国や県の主張も、なぜ合意に至らなかったのかも、全く不明です。当初現地保存する目的で計画され、本市文化財保護審議会に報告された原案も、その後現地保存を断念し、石棺は移築保存、玉作り工房は記録保存とした変更計画も開示されないままです。市民に何も知らせないまま玉作り工房をつぶしてしまうことは、許されません。市長は直ちに説明責任を果すべきです。ここまで隠そうとする理由は何なのか、答弁を求めます。・・・③
第4に、議会軽視の問題です。城野遺跡の発掘終了後、担当常任委員会で城野遺跡が議題となったのは、3回の陳情審査のみです。市は文化財保護審議会に報告した内容等は常任委員会にも報告するべきでした。特に現地保存断念に至った経緯など、常任委員会に報告しなかったのはなぜでしょうか。議会軽視は改めるべきです。答弁を求めます。・・・④
藤沢加代議員への答弁
本市では平成27年、八幡製鐵所関連施設が世界遺産に登録。昨年11月には、戸畑祇園大山笠行事が、ユネスコ無形文化財登録された。有形、無形という二つの文化遺産がある市は、日本国内では5都市、九州では本市だけだ。長く地元住民によって守られてきた文化財が世界で認められたことは、北九州市の誇りと感じている。
城野遺跡は、JR城野駅の南側に広がる弥生時代後期から古墳時代にかけての集落跡で、九州最大規模の方形周溝墓や玉造工房跡など貴重な発見があった。方形周溝墓には用事を埋葬した2基の箱式石棺があり、厚く塗りこめられた水銀朱や戸口石に描かれた線模様画について様々に言われている。
また近接する重住遺跡、重留遺跡と共存しながら、次第に紫川中流域の拠点的な集落の一つとして発展していく様子は、北九州市の弥生時代を考える上で貴重な遺跡と認識している。城野遺跡の現地保存に向けた国との協議は、合意に至らなかったもののその重要性から方形周溝墓の石棺を移築保存し、玉造工房は記録保存とした。
取り上げた石棺は昨年11月から、埋蔵文化財センターで展示保存し、水銀朱が厚く塗られた本物の石棺をまじかで見ることができるようになり、1月末の年間入館者数は4651人と、前年同月比で約1.5倍となっている。また本年2月に実施した、城野石棺移築を記念したシンポジュウムでは、箱式石棺に埋葬された幼児の一人が巫女ではないかという新説が、これまでにない切り口で専門家の討論が行われ、市民にも好評だったと聞いている。
今後も講演会や体験講座など、様々な手法で城野遺跡や弥生時代の北九州の歴史の理解が深まるように努めていきたいと考える。
一方。城野遺跡が発見された現地は、方形周溝墓部分を市に無償譲渡するという土地所有者からの申し入れがあった。これを受けて、この土地を史跡広場として市民が見学しやすい環境を整えるためには、土地所有者から提示を受けた土地の広さの中で、それが可能かどうかを含め整備内容を検討するよう指示したところだ。
■市民文化スポーツ局長(城野遺跡、現地保存する意思はあったのか、について)
城野遺跡の保存については、当初市は特に重要な方形周溝墓と玉造工房跡を現地保存し、レプリカで公開するという保存活用の原案を作成した。文化財保護法では国民、所有者の心構えとして文化財の所有者その他関係者は、文化財が貴重な国民的財産であることを自覚し、それを公共のために大切に保存するためにできるだけそれを公開するなどその効果的活用に努めなければならない、ことが明記されている。
これを踏まえて土地の所有者が国であるということ、市民に公開するには多大な費用を要する、そういったことから保存すべき土地については国の責任で確保し、保存、公開については市が行うという役割分担が適当であると判断したものだ。
国との協議においては、城野遺跡の重要性を再三語り、説明し、保存用地の確保を求めたが、合意には至らなかったものだ。
次に情報開示について。城野遺跡の現地保存をすすめる会から、平成27年12月に城野遺跡の保存を断念するにいたる、国、県との交渉経過と結果を示す会議録などを示す行政資料、文化財保護審議会に提案した城野遺跡の保存計画の原案、現行案の計画、文化財保護審議会の会議録及び、変更するに至った経緯のわかる一切の資料、この2点についての開示請求を受けた。
今回の2点の対象文書は、意思形成過程の情報が含まれていること、用地の交渉に係る内容であること、国とは今後も同様の会議が行われることは予想され、活発な議論を担保する必要があること、こういったこと方北九州市情報公開条例の不開示条項に該当すると判断し、一部不開示を決定したものだ。
現在、北九州市情報審査会において審議中だ。その答申を踏まえて対応したい。
最後に(城野遺跡保存問題を議会の)常任委員会に報告しなかったことについて。
城野遺跡の保存については、市議会本会議や常任委員会においてたびたび審議され、それぞれの時点において保存に対する考え方や対応状況について、答弁、説明をしてきた。具体的にはまず平成23年6月議会だが、城野遺跡の内容、これから保存・活用の方法を検討していくこととし、24年2月議会では有識者の意見を聞きながら、史跡を現地保存しレプリカで公開するという活用の原案を作成したこと、国と現地保存のための協議を行っていることを表明した。
26年6月議会では、国との交渉の考え方や現地保存について国と合意にいたらず、石棺を取り上げたこと、移築展示を検討していること、土地の購入については考えていないこと、26年12月議会では、10回に及ぶ国との交渉の経緯や現地の調査はすべて終了したことについて報告した。平成27年12月議会では、石棺の移築展示に向けた取り組みや体験講座、シンポジウムなどを通して遺跡の活用を図っていくということ、入札への参加の意思はないこと、28年2月議会では国との交渉経緯を本会議で説明した。
城野遺跡の現地保存をすすめる会から、土地を取得し現地保存を求めるなどの陳情があった。平成26年11月と27年12月に総務財政委員会において、城野遺跡の保存にかんする考えや活用方法などについて説明した。その後、審議がなされこの2件の陳情は不採択となった。さらにこの団体から、城野遺跡の現地保存を 断念した経緯などについての陳情があり、平成28年11月、総務財政委員会において市が断念した経緯などを説明した。
このように市議会では、城野遺跡の保存に関して本会議での答弁や陳情審査での説明を行うなど、議会の理解をいただきながら事業を進めてきた。
<以下、1問1答>
■市民文化スポーツ局長(1800年間ある城野遺跡を、私たちの代でつぶしていいのか)
城野遺跡をつぶすということではなく、保存については、3種類の方法がある。重要な石棺については移築保存している。玉造工房についてはちゃんと記録保存ということでしているので、つぶしてるということにはあたらないと思う。
市長が答えろという再三のご要望なので。議員は、つぶすか、つぶさないかという二者択一の切り口で問われるわけだが、別につぶそうと思ってわたしども動いているわけではなくて、現地保存の可能性であるとか、あるいは埋蔵センターのほうでそれを大事にするとかいうことで、市民にもそういう歴史的ないろんな問題については、いろいろお手伝いをさせていただきながら、お伝えする努力はしているわけで、別に、つぶすか、つぶさないかという二者択一だけで論じないで、どういう方法ならばより合理的に、市民のみなさんの理解を得ながら大事にしていけるかという観点から、考えていることはご理解いただきたい。
■市民文化スポーツ局長(土地を所有する開発事業者名を知ったのは何時か)
平成28年の1月19日の開札をみてわかるが、その時点では土地所有者は公表されていない。私どもが知ったのは、28年の3月に、落札した事業者は文化財について協議することということで、所有者がわたしどもの方に、文化財の手続きについて相談に来た。その時が初めてだ。
最初は3月18日だった。
■市民文化スポーツ局長(土地所有者が石棺部分の土地を譲渡することで合意に達したのは何時か)
合意に達したというか、土地所有者のほうから無償譲渡の申し入れがあった、のはあった。ただ日にちについては、土地所有者の方からは、公表は控えてくれと申し入れがあっているので公表は控えたい。
市民企画課長だ。
■市民文化スポーツ局長(開発事業者は市に買い戻しを提案したというが本当か)
全体を買う意思はあるかという、確認は求められた。私どもはその意思はないということではっきり申し上げた。
以上